清貧 シンプルな暮らし
「吾レ 唯ダ 足ルヲ 知ル」
「現 代 の 和 が 家」
「方丈キュービック」
「方丈キュービック」は、単身者のための最小限の住まいとして計画しました。
室内構成:和室二畳(京間)、玄関、キッ
チン、トイレ、洗面、シャワー
室、服入、ロフト(二畳半)、
等を組込みました。
方丈とは、3m×3mの広さ(9㎡≒2.7坪)
高さも3mとしたので「方丈キュービッ
ク」としました。
室内空間は、小上り・小下り&ロフトにて
、変化と利用効率を重視しました。
建築床面積を狭小化することにより
・敷地面積が小さくて済む
敷地に余裕があれば緑が多くなる。
・工事費が安く済む
スケールメリットはありませんが。
無駄を省き、プランはメリハリつけてコンパクトに!
緑の割合をなるだけ多く確保し
室内外ともに空気(風)の循環を促します
小さな家
~想い(イメージ)の詰まった小さな家~
せっかく一戸建てを求めたのに、敷地いっぱいの建物とカーポートでは一戸建ての意味があまりありません。
(一戸建てずつの共同住宅みたいですね。)
家はコンパクトにおおらかに生活しましょう。家族のサイクルを考えたとき、最大で計画すると、少人数(老後など)になったとき手に余ります。
効率よく計画し家を小さくまとめる
その結果、庭(緑)の確保、そして、できれば家の質を上げましょう。
家の質を上げることにより”住宅寿命を長く”、又、庭(緑)の確保による”豊かな暮らし”が待っています。
そしてこれは、環境にも良い持続可能な循環型社会への参加となり、「私たちの世代の利己だけを優先しない、次世代に負荷を残さない」ということにつながります。
※改装の場合には、減築(面積を小さくする)もこれからの方向のひとつとして考えていきたいですね。
障子による間仕切りの変化
自由な平面(プラン)の復活
家族や生活の変化に自由自在に対応する融通性のあるシンプルでオープンな間取りに不可欠です
われわれは、廃墟の無一物から出発せざるをえなく、物資市場主義になったのもやむをえない面はあった。
が、それだけではいけないことに、われわれはいま気がつきだしている。たしかに物はゆたかになった。市場に物は溢れている。
しかし、物の生産がいくらゆたかになっても、それは生活の幸福とは必ずしも結びつかない。幸福な生のためには物とちがう原理が必要であることにわれわれはいまようやく気がつきだしている。
限りない物の生産と浪費が地球上での共存の上からも、環境と
資源保護のためにも許されないことを知っている。【※4】
人が幸福に生きるためには一体何が必要で、何が必要でないかと、大原則に戻って考え直そうとしている人が大勢出てきている。
日本にはかつて清貧という美しい思想があった。
所有に対する欲望を最小限に制限することで、逆に内的自由を飛躍させるという逆説的な考えがあった。【※4】
「清貧」:清貧とは単に貧しいことではなく、自然といのちを共にして、万物とともに生きること。
「もったいない」:われわれの先祖には身についたあたりまえのこと。生きるうえで必要以上に浪費することを許さなかった。必要最小限の物を大事に使うシンプルライフを実践してきました。
いつからこんな妙な言葉が使われ出したのか記憶は不確かですが、消費者というこの人間侮蔑的な言葉が1965年ごろから、すなわち経済成長を一国の最大の目標としだしたころからの、われわれの状態を正しく言い当てているようです。
大量生産=大量消費の時代が始まったのでした。
そしてわれわれは、人間にとって一体何が必要で何が必要でないかを冷静に考えて選択する余裕もなく、ひたすらただ次から次へと
市場に出現する魅力的で便利で機能的な商品の消費者とされてしまったのでした。【※4】
「昔は、人の所有するすべてのものが大切にされ、手入れされ、役に立つかぎり最後まで使われた。買い物は〈長持ち〉の買い物であって、19世紀の標語としては、「古いものは美しい!」がふさわしかっただろう。
今日では、保存ではなく消費が強調され、買い物は〈使い捨て〉の買い物となった。買ったものが車であれ、服であれ、小道具であれ、それをしばらく使ったあとは飽きてしまって〈古いもの〉を処分し、最新型を買うことを熱望する。
取得 ⇒ 一時的所持と使用 ⇒ 放棄(あるいは、できればよりよい型との有利な交換) ⇒ 新たな取得 が、消費者的買い物の悪循環を構成するのであって、今日の標語は「新しいものは美しい!」となりうるだろう。【※4】
人間性をとりもどすために、われわれは生活をもう一度根本から考え直す必要があると思われる。社会全体についてはどうしようもないなら、せめてその中で受動的に流されっぱなしだった自分自身の生き方だけでも、自分の納得のいくものに組み立て直したい。
過剰の中にあってそれが自分を幸福にもゆたかにもしてくれない、いや、それどころかもはやこれ以上このままではやっていけないと感じている以上、自分の意志で生を納得しうるものに再構築することが、自己に対する義務だと思われる。【※4】
参考文献
【※4】「清貧の思想」 中野 孝次